By 佐々木南実
Sam Shinは1979年、韓国はソウルの生まれ。5才の時に両親と一緒にロサンゼルスに渡り、それからはアメリカの中の韓国人コミュニティと、「普通のアメリカ」を行き来しながら育ち、現在はカリフォルニア大学サンディエゴ校の3年生。WorldLiterature
(世界文学) を専攻し、中国語、日本語、スペイン語を勉強中という、それだけ聞くとほとんど「語学おたく」という感じがしなくもない彼ですが、本当のところはどうなのでしょう?
Samが初めて英語と接したのは、韓国からアメリカにやってきて地元の小学校に入学したとき。今、思い出すと、最初の2年間は「学習期」という感じがするそうで、8才くらいになったあたりから、本格的に英語がわかるようになったと言います。家ではずっと韓国語でしたから、忘れることはありませんでしたが、「ここはアメリカなんだ」という意識から、韓国人の友達と遊ぶときも努めて英語で喋ろうとしていたそうです。今は、学校のレポートなどの正式な文章を書くのは英語で、そして頭にきたときに飛び出すのも英語と、かなり英語のほうが強くなった彼ですが、「ネイティブ・ランゲージは?」と訊ねると、少し考えて、やっぱりそれは韓国語だね、と答えてくれました。アジアン・アメリカンである彼が、両親の国、そして自分の生まれた国の言葉を「母語」であると強く感じていることを知って、私は嬉しく思いました。理由はうまく説明することはできないけど、韓国語には敬語があり、目上に対する尊敬の文化が存在するところがアメリカの文化とは大きく違い、その点が一番好きなのだと、彼は話してくれました。どんなにアメリカに長く暮らしても、自分の中には韓国人の血が流れていることを強く感じるとSamはいいます。そんな彼にとっては、どんなにしっかりと身に付いていたとしても、やはり、英語は第二言語だというわけなのです。Samは、自分がバイリンガルでよかったと思うのは、ふたつの文化の中に暮らすことができるからだといいます。韓国の文化を理解し、楽しめるのも、アメリカの文化を理解し、エンジョイできるのも、両方の言葉を自分のものにしているから。Samは韓国語をキープできたことで、完全にバイカルチュアルな人になることができたといっていいでしょう。さらに彼にとって、語学は異文化体験への正面玄関です。異化を外側の世界から見たり聞いたりするだけではなく、実際にその一部となって友達を作ったり、生活を楽しんだりできるのは、語学というツールがあるからこそです。ここアメリカでは、実に様々な国の人が身近に英語で暮らしています。ですから英語という門をくぐれれば、彼らのネイティブ文化の玄関ドアを自らノックできるのです。「二人の人間がいて、言葉が通じなくてもうまく付き合って行けるかもしれないけれど、きっと友だちにはなれない。共通の言葉がなければ、コミュニケーションが成り立たないじゃない。」と彼は言います。大切なのはコミュ
ニケーションなのです。将来、もしも自分の子供が生まれたら、絶対に自分の知っている言語はすべて教え、それ以外にも、もう一カ国語くらいは身につけて欲しいと思っているそうです。外国語を身につけるには、やはり小さいときから始めるのが一番で、それもヒアリングの力をつけるのは幼少時代に限るというのがSamと私の共通の意見です。実際にSamも、メキシコ人の幼な友だちから何気なく聞いていたスペイン語が耳に残っていたおかげで、高校の授業で履修したときにはずいぶん楽ができたと言っています。そのときに話せるようにならなくても、幼い頃に耳から入った言葉は、後からその言語を学ぶときにきっと役立つものです。なんて話していると、Samの友達から電話です。韓国語でなにやら早口(に聞こえる)で相談し、「$9でSUSHI食べ放題」に行かなくては、と素早く去っていきました。
インターナショナルでしょ?
(初出: アルク刊 「kids.com」 2001年2月号)
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