第九回 日本語がママからのギフト -在米日本人ママ

By 佐々木南実

 アメリカに来て、英語ばかりの環境の中で、日本語という第二言語を子供たちにプレゼントしようと努力している日本人の親たちに多く出会います。日本語の童話を録音して繰り返し聞かせたり、車で一時間も離れた日本語学校まで送り迎えをしたり、いろいろな方法でそれぞれが頑張っています。

 「子供たちを通わせるのにちょうどいい日本語教室がやっと見つかったわ」と喜んでいるあや子さんもそんなひとりです。7年前にアメリカ人のご主人と一緒に日本から引っ越してきて、カリフォルニアで子育て中。現在、8才と6才の彼女の子供たちは、日本人子女のための補習校には通っていません。日本の学校のカリキュラムに対応している補習校の授業内容は、日本の学校に転入する予定のない子供たちのニーズには合わないと考える家庭も多いのです。そんな家庭では、日本語は親が教えたり、個人教授でということになるわけですが、平日のほとんどを英語のみの環境で過ごしている子供たちにとって、この方法で日本語をマスターするのは容易なことではありません。

 「以前は両親の母語が話せたけれど、いつのまにかわからなくなってしまった」というのは、多くの移民二世、三世たちに共通する現象です。そして、彼らのほとんどが言うことは、「どうやって忘れてしまったのか、説明できない」ということ。言語を失っていった過程を自分でもまったく覚えていないというのです。とにかく、次第に英語のほうが強くなり、親が母語で話しかけても子供は英語で答えるようになり、成長とともに込み入った内容を伝える必要性が増してくると、ついに親も英語で話すようになってしまうというのがだいたいのパターンのようです。

 「今、うちの子たちはまさにその状態に近づいているわ」とあや子さんは危機感を強めているようです。
つい去年まで、100%日本語の環境の中で、英語教室に通い、英語のビデオを見せて、子供たちになんとか英語を覚えてもらいたいと焦っていた私ですが、その焦りの気持ちと、彼女の危機感とは、同質のものなのかしら? と考えてみました。どうも違う気がします。というのも、子供たちに学ばせようとしている第二言語が、自分にとっての母語であるかそうでないかという点で、彼女と私は決定的に違うからです。

 確かに母語は単なる「語学」ではなく、文化であると同時にその人の価値観すべての背景となっているのに対し、第二言語はコミュニケーションの道具です。でも、「mommy じゃなくてお母さんと呼びなさい!」なんて、いつも言っている彼女を見ると、キミたちのお母さんは地球のどこにいても日本のお母さんなんだよ、という日本の母としての誇りが伝わってきます。日本の文化や心を「母」を通して示して伝えられる自信があるのでしょう。

 そんな彼女が初めて日本を飛び出したのは中学2年の夏休み、アメリカの田舎、イージーランドという人口96人の町に一人で一ヶ月、ホームステイしたときでした。牛や馬などの本格的なfarmでの暮らしで、文字通りアメリカの生活に体当たりしたことは、忘れられない経験となりました。でも、その滞在では、「不思議と英語力が飛躍的に伸びた感じはしなかった」と彼女は言います。むしろ、13歳の目に映った、自分でトラックを運転し、ボーイフレンドやガールフレンドたちと夏をエンジョイするアメリカのティーンエージャーたちの暮らしのほうが、強烈なカルチャーショックとして残ったというわけです。

 「同い年」とは名ばかりの大人びた女の子たちや、温かく抱きしめてくれたホストマザー、パーティで一緒に踊ったボーイフレンドなどと出会った体験は、教科書を何冊読んでも追いつかないくらいの新しい世界を彼女に見せてくれました。

 初めてのアメリカに度肝をぬかれた少女が、今はアメリカで日本のお母さんとして子育てをしています。
日本語を第二言語として習う彼女の子供たちには、21世紀、どんな異文化体験が待っているのかな?

(初出: アルク刊 "kids com" 2001年9月号)

 

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