第十一回 雪だるまはsnowmanじゃない!?

By 佐々木南実

 「アメリカの雪だるまには足がある。三段重ねなんだよ。」と息子が言うので、そうだったかなと注意して見てみると、たしかに絵本やまんがに出てくるアメリカの雪だるまは、三段重ねでのっぽです。二段重ねの日本の雪だるまは、どう見ても雪の「だるま」。そこへ行くとアメリカの「snowman」は、なるほどsnowでてきたmanにほかなりません。こうなると、雪だるま = snowmanなどと、安易に訳している場合ではなくなってきます。「雪を転がして作ったボール状のかたまりを重ねて作る人形」であるという点と、「昔ながらの雪遊び」であるという点は共通していますが、雪だるまと snowman はまったく別のものなのだという気がしてきました。

 雪だるまやsnowmanの起源を知りたいものだと、ネットサーフィンを試みましたが、あまりにも一般的な素材なのか、なかなか正式な説明を見つけることができません。そこで、想像力を働かせて、遠い昔の雪国を思い浮かべてみると、雪遊びとして子供たちが人間の形を模したものを作るのはとても自然なことだし、仏教が主要な宗教で、誰もが知っている日常のものとして「だるま」がある日本という国の子供たちが (あるいは名付け親は大人だったのかもしれませんが) その人形を雪だるまと呼んだのも、自然に納得できます。一方、西洋の子供たちがそれをsnowmanと呼んだのも、同じように自然なことだし、三段重ねになっているのは、やっぱり背の高いお父さんが手伝ってくれたからかな? などと考えるわけです。たぶん、雪だるま/snowmanの歴史は、初めての雪が最初の子供の頭上に降った時にまでさかのぼるのでしょう。それが何百年前なのかはわかりませんが、西暦2001年の
現在に至るまで、両者の概念が全くクロスオーバーすることなく、それぞれの文化圏に残っていることは、単純にすごいことです。

 アメリカの子供は日本に行って日本人の子供たちといっしょに雪だるまを作って初めて「雪だるま作り」を
体験するのであり、日本の子供は西洋の国で地元の子供たちといっしょにsnowmanを作って初めて「snowman」を作る体験をするのです。

 どんなに国際交流が盛んになり、どんなに世界経済が発達しても、決して国境を越えることはなく、
手つかずのまま残って行く文化がたくさんあります。
うちの息子は剣道をやっているのですが、「剣道」を外国人に説明するときに「Japanese Fencing」などの
訳語をあててみて、「何も伝えることができていない!」と、いつも私はフラストレーションを感じています。
剣道を知っている人なら誰でも、それがJapanese Fencingなどというものではないことがすぐにわかるでしょう。ましてや、「Japanese Samurai Sword Training」ではないわけで、要するに表面だけをなぞって英単語を当てはめてみても、本質を伝えていなければ本当に翻訳したことにはならないという思いが、私のフラストレーションの源です。

 「日本に帰って道場に戻ったときに、礼儀を忘れていたら、本当にやばい」とうちの息子は言っています。今、サンディエゴで彼はバスケットボールのチームに入っているのですが、「すっかりバスケに慣れちゃって、先生に対して"give me five"なんてやっちゃったら、真剣に怒られる」なんて言っています。バスケの感覚では、コーチもメンバーもみんなでチームを盛り立て、良いプレイが出たときには"give me five!"と言って、お互いの片手をパチッと合わせて喜び合うのです。道場の緊張した空気とは、たしかに似ても似つかない雰囲気です。単純に言葉を置き換えて「英訳」「和訳」しただけではどうしても伝えることのできない文化そのものを、それぞれの言語で直接理解することができる、本当の意味での「バイリンガル・バイカルチャル」な人たちが、これからは増えて行くでしょう。それぞれの国の独特の文化や歴史は国境を越えることはなくても、国境を自由に跨いで生きて行くことのできる人たちが増えるということです。そんなしなやかな力を身につけることこそが、語学習得のもう一歩先にある、本当の目標なのですから。

 がんばれ、子供たち!

(初出: アルク刊 "kids com" 2001年11月号)

 

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